やいま唄のマブイ≪唄と歴史のおぼえ書き》

2013年11月21日 (木)

唄の宝箱西表島『星空に流れる唄』②

一人の時間、それは突然壊れてしまった家庭と向き合うことに

なります。1年延びた娘の留学が終わる来年の春には、なんら

かの答えを出さなければなりません。

西表島の布団しかない6畳の部屋にこうして一人でいると、自分

は逃げているんじゃないかと、不毛な問いかけのループを堂々

巡りをしてしまいます。

このまま一晩過ごすのはたまりません。

それで昼間会ったばかりのヨウコちゃんに電話すると、ドミトリー

に一人でいるとのことでした。さっきの公園で待ち合わせすること

にしました。

 

外は少しづつ夕闇がおりてきて、空には星々がまたたいていま

す。ポツンポツンと家の灯りが見えますが、山の見えない気配

がじーっと身を潜めているように感じます。

帰り道を考えて持ってきた懐中電灯で足元を照らします。誰にも

会いませんし車も通りません。

家が密集して24時間動いている東京の街から来ると、気が遠く

なるような静けさです。

公園のベンチにはヨウコちゃんがサンシンをテンテンと弾きなが

ら待っていました。

「こんばんは。足元気をつけてください。東京から来るとこの暗さ

に慣れないでしょう。私みたいにしばらくいれば、夜でも目がきく

ようになりますけど。でも目が慣れたら都会に戻れなくなっちゃた

りしてね~。」

 

公園のベンチの少し先は夜の海が広がっています。

夜の海は色が無い。

波の音だけが繰り返し繰り返し聞こえてきます。

暗い海の向こうには鳩間島の光が二つ三つ見えます。

点いたり消えたりするのは灯台の光でしょうか。

泡盛を飲みながらこうしていると、不思議なことに孤独感が消え

ていきます。部屋にいるよりも外にいる方が寂しくありません。

まして人が多い東京にいる時の方がよっぽど一人ぽっちでした。

今この時、何か柔らかい布で包まれているような安心感がありま

す。海や波や山や風や木やここにある一つ一つのものが、音には

ならない言葉で話しかけてきます。

夜空の満天の星々は、人間には関係ない天上で、賑やかにお喋

りをしているようです。

無数の星の間から、流れ星が時々忙しそうに何処かへ消えて行き

ます。隣りではヨウコちゃんが喜納昌吉の『』を弾き始めました。

 

   ♪ 川は流れて どこどこ行くの 

     人も流れてど こどこ行くの

     そんな流れが着くころには 

           花として花として 咲かせてあげたい

     泣きなさい 笑いなさい いつの日かいつの日か

     花を咲かそうよ

 

   ♪ 涙ながれて どこどこ行くの

      愛も流れて どこどこ行くの

      そんな流れをこの胸に

      花として花として 迎えてあげたい

      泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か

      花を咲かそうよ

 

   ♪ 花は花として 笑いもできる

      人は人として 涙も流す

      それが自然の歌なのさ

      心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

      泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か

      花を咲かそうよ

      泣きなさい 笑いなさい いついつまでもいついつまでも

      花をつかもうよ

    pencil 『ピナイサーラの滝と月ぬまぴろーま』に続きますsoon

 

2013年11月19日 (火)

唄の宝箱西表島『星空に流れる唄』①

海の見えるでんさ公園でヨウコちゃんが弾いてくれたのは西表島

の代表的な曲『でんさ節』でした。

腕前の方はアレ~って何度もいいながらのたどたどしい演奏でし

たが・・・。

 

   ♪ 上原ぬでんさ 昔からのでんさ

      島ぬあるまでぃや いちぃん変わらぬ デンサ

     (上原のでんさ節は昔から伝えられた唄

      島のある限りはいつまでも変わらない唄です)

 

   ♪ 島持つぃどぅ家持ちぃ 船乗りぃどぅ ゆぬむぬでん

      船頭舟子 親子 揃にばならぬ デンサ 

     (島を治めるのと家の安全は 船の舵取りと同じ

      船頭と舟子 親子は心を一つにしなければなりません)

 

   ♪ 親子美しゃ 子から 兄弟美しゃ 弟から

      きない持つぃ美しゃ 嫁の子から デンサ

     (親子が仲のいいのは子の敬い 兄弟は弟から

      家庭が円満なのは嫁の敬いからです)

 

宮良里賢が西表島上原の役人だった時に、村の風俗の乱れを直

す為に作ったと伝えられているのが『でんさ節』です。

八重山を代表する教訓歌と言われています。それでこの公園には

でんさ之碑』も建っています。

 

なんとなくお互いの身の上話しをして、ヨウコちゃんから旅の情報を

聞いたりしているうちに、取りとめもなく時間が過ぎていきました。

彼女はマリンツァーをやっている所の格安ドミトリーに泊まっている

のだそうです。

そこで初歩のダイビングライセンスを取ったので、近いうちに向かい

に見える鳩間島に移ろうと思っているそうでした。

それで明日は西表島でしかできないカヌーツァーに参加するそうで

私も誘われました。

特に予定の無い私は一緒に参加することにしました。

それでツァーの申し込みがてらドミトリーのある場所に行きまし

た。事務所には誰もいなかったので、申し込みはヨウコちゃん

にお願いしてドミトリーを見に行きました。

木造の掘っ立て小屋のような建物に、6畳くらいの部屋があって

パイプベッドが左右に2つ置いてあるだけです。学生の合宿所

みたいで、プライバシーはゼロの環境です。

 

翌日の予定が決まったので、お互いのケイタイ番号を教え合っ

て、私は宿に帰ることにしました。

宿に戻ると受付カウンターのところに『サンシンを聞きたい方は

事前にお申し出ください』と書いてあるのを見つけました。

1階には人の気配が無いので、2階に探しに行くと最初に会った

中年の女の人が部屋の掃除をしていました。

サンシンの件を確かめると、

「主人は石垣に行ってるから、明日帰ったら言っておきます。サン

シン弾くのは夕食の後だから、明日は夕食後食堂で待っててくだ

さい。」

 

6時に食堂に下りると、一人旅の男性、女性の二人連れがバラ

バラに離れてテーブルに座っていました。それぞれ会話も無く

食事を済ますと自分の部屋に戻ってしまいました。

誰もいなくなったセルフサービスの食堂で食器を戻すと、もう

やることがありません。ぱいらんどのみんなでテーブルを囲む

夕食に慣れてしまうと、全然勝手が違います。

私も部屋に戻りましたが、布団を敷いて寝転んでもTVも無く、

ひたすら手持無沙汰です。

一人で何もやることが無い状況になると、考えてしまうのは

過去のことばかり・・・。

     八重山唄巡りの旅・唄の宝箱西表島

     pencil 『星空に流れる唄』続きます soon

 

 

2013年11月 2日 (土)

『サンシンの音色とでんさ之碑』②

その海に面した公園はでんさ公園といい、海をはさんだ向か

いには鳩間島が見えます。

海に向かってサンシンを弾いている女性に声をかけました。

「こんにちは。聞かせてもらっていいですか?」

と側に行ってみると、ものすごく日焼けした若い女性が振り返

りました。

「どうぞ。ここ海がキレイで気持ちいいですよ。でもサンシンは

ヘタだから聞かせるほどじゃないけど・・・。」

無理やり言えば女優の室井滋を若くしたような、さっぱりした

感じのいい女性でした。

お近づきのしるしにおばぁの手作りサーターアンダギーをすす

めると、

「うわっ、このアンダギー美味しい!もう一ついただいちゃって

いいですか~?お昼食べてないんで。」

と美味しそうに食べる様子が微笑ましくつい笑ってしまいました。

「お姉さんどこに泊まってるんですか?この時間ここにいるのは

ダイビングとかで来た人じゃないですよね?」

それがきっかけで、サンシンが聞けたらとペンションTに泊ま

っていることなど話し始めてしまいました。

陽の光にキラキラ光る海を見ながら木陰のベンチにいると、

あまりの気持ちよさに心も口も緩んでしまうようです。

 

彼女の名前はヨウコちゃん。大阪で看護婦さんをしていたそう

です。

「名前の通った大きな病院だったんですよ。でも仕事は夜勤とか

あってメチャきつかったんです。でも静岡の実家には絶対帰りた

くなかったんで頑張って働いてました。

看護婦の仕事は好きだから。

結局は職場の女同士の人間関係。どうしても嫌なヤツがいて、

そのイジメと嫌がらせに神経がまいちゃってね。頭にハゲ出来

ちゃって。さすがにヤバッって思って・・・。

それで仕事辞めて、大阪から一番遠い南の八重山にきちゃった

んですよ。もうそろそろ二ヶ月になるかな~。

お金が続く限り島回りしようと思ってるんです。一生に一回の

贅沢だから。

西表は一週間目になるのかな?この裏のドミトリーにいるん

ですよ。狭くて汚いけど安いから。お姉さん食事付きのペン

ションって羨ましいな。」

初めて来た石垣島で、偶然入ったカフェでサンシンを教えて

いたそうです。サンシン体験の面白さに、勢いでその場でサン

シン買ってしまったそうです。

「その時はこんに長く居るつもりじゃなかったからね。

でもサンシン持ってるといいことあるんですよ。こうやってお姉

さんとも知り合いになれたでしょ?サンシンあると島の人が声

かけてくれたり、弾きたがりのオジィなんかが唄ってくれたり

するんです。だから行った島の唄は一つは覚えようと思って。」

 

                pencil この話し続きます soon

 

2013年10月29日 (火)

唄巡りの旅『サンシンの音色とでんさ之碑』①

 1時も過ぎた時間なので、お昼ご飯でもたべに行こうと宿を

出ました。上原港に戻る道際に『デンサー食堂』の看板があっ

たのでそこへ行ってみました。観光客の年配のご夫婦がソバ

を食べていましたが、食べ終わって出て行くと私一人になって

しまいました。誰もいない小さな食堂でソバをすすっていると

ひとり旅の心細さがつのります。

石垣島のぱいらんどのおばぁが言った言葉が身に沁みます。

「島に渡るときは少しお腹に入るものを持っていったほうがい

いさぁ。東京みたいにどこでも店はないからね。これを持って

いきなさい。」

とおばぁ手作りのサーターアンダギーを1袋持たせてくれまし

た。

おばぁは朝の食事タイムが終わると、時々サーターアンダギー

を作ります。何ヶ所かに卸して売っているのです。今朝もでき

たての暖かいサーターアンダギーを渡してくれたのでした。

『デンサー食堂』も私が出たらすぐ、準備中の札をぶらさげて

いたので、ギリギリお昼が食べられたのです。

 

食堂の先にはスーパーがあるので入ってみました。

野菜や雑貨品や生活用品を売っている町の普通のスーパー

で、お酒コーナーでイリオモテヤマネコのラベルの泡盛があっ

たので、それとつまみとお水を買いました。

スーパーを出てブラブラ歩いていると、かすかにサンシンの

音色が聞こえたような気がしました。

そちらに向かって行くと小さな公民館の裏に公園がありました。

その公演の片隅に、海に向かってサンシンを弾いている女の

人がいました。

                        pencil この話し続く soon

2013年10月21日 (月)

唄巡りの旅『唄の宝箱 西表島へ』

 遠く緑の固まりに見えていたものが、どんどん目の前に広がっ

て大きな山になりました。安栄観光の高速船は西表島上原港に

着きました。

石垣港を出てから40分あまり、竹富島を過ぎ小浜島を通り、鳩間

島を横目に見て高速船は上原の港に横づけされました。

石垣からの郵便物や荷物を荷揚げしている横を、乗船客が通って

小さな船着き場を出ると、いつの間にか私一人になっていました。

地元の人は港に止めていた車に乗っていなくなり、数人いた観光

客は民宿の迎えの車に乗って行っていまいました。

9月とはいえ真夏の強い陽射しが、石ころの道を照らしつけていま

す。

 緑濃く迫ってくる山のふもとにへばり付くように家々が並び、一本

の道が右から左へと通じています。

人も見えない、車も通らない。

閑散とした港からの道を歩いていると、目の前に広がる大きな緑

の固まりから発してくる、目に見えない気に圧倒され息苦しささえ

覚えます。

西表島は島自体が緑の生き物のようで、その端っこで人の営み

が島という生き物から許されているような、そんな錯覚を感じて

しまいました。

行けども行けどもビルや家々が延々と続く東京の街から来ると、

ここ西表島は宮崎駿が描く世界のようにも思えます。

 

 西表島に2泊して石垣島に戻る予定でペンションTを予約しま

した。ガイドブックにはそこのオーナーがサンシンを聞かせてくれ

ると紹介されていました。

港から歩いて数分、海の近く台風にも耐えられる、コンクリート作

りの頑丈な建物です。西表島の自然のパワーや、緑のエネルギー

にも耐えている頑丈さです。

宿の受付には人の気配が無く、何度も声をかけると2階から中年

の女の人が下りてきました。宿帳を書くと2階の部屋に案内されま

した。

建物は天井が高いのか、全体にガランとした感じです。

2階は蘆花の左右に6畳の部屋が並び、階段横にトイレ、シャワー

室ベランダに洗濯場がまとまっています。

夕食は6時に1階の食堂に来て下さい、と言って女の人はいなくな

りました。布団が隅に積まれただけのシーンとした部屋に、突然

セミの鳴き声だけが響いてきました。

 ガイドブックには沖縄本島につぐ2番目に大きな島で、人口は

2千人あまり、島の面積の90%は亜熱帯の原生林に覆われてい

るとありました。

何か濃密な気を感じるのは亜熱帯の原生林の力なのでしょうか?

こうなると石垣島が都会に感じられて、ちょっと懐かしさすら覚えて

しまいます。

          pencil続き『サンシンの音色とでんさ之碑』soon

2013年9月29日 (日)

唄巡りの旅『崎枝の松ととぅまた節』

サンゴ礁の海沿いに続く県道79号は、晴れた日のドライブに

は最高です。運転しながら佐々木さんは観光ガイドのようにい

ろいろな説明をしてくれます。

なにしろ石垣島をよく知っています。

そして、次に行くのは佐々木さんの希望の川平の高嶺酒造

なりました。石垣通となればもちろん島酒にも詳しいです。

石垣島で作られる泡盛は『八重泉』『請福』『於茂登』『白百合

宮の鶴』『玉の露』です。それぞれ特徴のある味わいを持って

いますが、それぞれのお酒や酒造所についてウンチクを聞かせ

てもらいました。

 

高嶺酒造は川平公園の近くにあります。

車を止めて川平湾を見渡す展望台から見た景色は、ポスター通

りの美しさです。白い砂が澄んだ青い海に溶け込み、そこに白い

船が何艘も浮かんでいます。

ポスターにないのは観光客の姿だけ(笑)

川平湾を一周するグラスボートがありますが、少し疲れていたのも

あり、新婚さんカップルは明日ダイビングの予定もあるのでパスし

高嶺酒造に行きました。

1949年創業で現在も直火式の地釜蒸留という古い製造方法を

守り続けている酒造所です。そして一般の人が製造工程をガラス

越しに見学出来るように公開しています。

また古酒(クースー)のボトルキープの制度があって、新しい泡盛

を甕につめて古酒になるまで預かっておいてくれるそうです。そし

て記念のお祝いの席でその甕を開いてみなさんに振る舞ったり

するのだそうです。

独身貴族の佐々木さんは40才になった記念に、ひと甕注文しに

高嶺酒造に来たのだそうです。優雅な話しです。

せっかく寄ったのですから、私も今夜のぱいらんどゆんたく用に

於茂登』の1升瓶とお土産用に『黒真珠のふるさと』を買うことし

ました。

 

高嶺酒造を出たあとはぱいらんどへと戻ります。

林の中の道を走って崎枝のバス停を通って名蔵湾へと出ます。

その林の坂のどこかに、昭和初期に伐採されるまでは、とぅまた

と呼ばれた松林があったそうです。

とぅまた節』は新しく赴任する役人が誰だろうかと噂する唄で、

現在は『繁昌節』と1セットで演奏されます。

 

  ♪ とぅまた松ぬ下から 馬ば乗りおーるすや

     シターリヤゥヌユバナヲレ ミルクユーバタボラレ

    (とぅまた松の下から馬に乗られる方は

      よい世にしてください 弥勒の世にしてください)

  ♪ 誰々ぬどぅ乗りおーる 何々ぬどぅぬりおーる

    (誰が乗っているのか どなたが乗っているのか) 

  ♪ 崎枝主ぬどぅ乗りおーる 主ぬ前ぬどぅ乗りおーる

    (崎枝村のお役人様が乗っている 助役が乗っている)

  ♪ 我女頭御供す くり女童つぃかいす

    (我が女頭が御供します 若い女たちも御供します)

  ♪ 崎枝主ぬ賄いや 島仲屋ぬまなべんま

    (崎枝のお役人さまの賄い女は島仲屋のマナベンマだ)

 

とぅまた節』には当時の琉球から赴任した役人を迎える様子

を伝えています。村長にあたる崎枝主に補佐役の助役がいて、

小間使いの女頭に小女たちが仕えます。それとは別に賄い女

と称される、妻代りに身の回りの世話をする妾が付きます。

この唄は1871年(明治4年)に慶田城用舛が、崎枝村の目差

役の時に作ったと伝えられています。

繁昌節』も彼が作ったとされています。

つまり明治に入っても八重山では琉球王朝時代の制度が続い

ていたことになります。

琉球王朝が滅亡して琉球藩になったのが明治5年、それから

7年後に沖縄県となり日本政府の県の一つとして組み込まれ

たのでした。

非人道的な悪制と言われた人頭税の制度が廃止されたたのは、

なんと1903年(明治36年)になってからでした。

 

帰りは名蔵湾沿いに車を走らせ、極彩色の唐人墓を通り市街地

に戻って来ました。ほぼ石垣島一周の一日になりました。

              soon『唄の宝箱 西表島へ』に続きますpencil

 

 

2013年9月25日 (水)

唄巡りの旅『野底岳とつぃんだら節 続き』

石になった悲しいマーペーの恋の物語は、『つぃんだら節』と

なって今に唄い継がれていますが、現在サンシンで演奏する

時は『久場山越路節(くばやまくいつぃぶし)』をチラシにして

一セットになります。

 

   ♪ 黒島にうるけや さふ島にうるけや

      ハリヌ ツィンダラヤゥ カヌシャマヤゥ

    (黒島にいた時は その島にいた時は

      なんて可哀相な 可愛い乙女よ)

   ♪ 島一つやりうり ふん一つやりうり

    (島で一緒に 村で一緒にいられると思っていたのに)

   ♪ 芋びしん我二人 ゆいふなぐん我二人

    (芋を紡ぐ時も一緒 農作業も一緒)

   ♪ 山行きん我二人 いす下れん我二人

    (山に薪をとる時も一緒 磯に貝をとる時も一緒)

 

生涯一緒にいられると思っていたのに、何をするにも一緒の二人

だったのに、この唄にも涙を誘われてしまいます。

このまま明日もその先もずーっと続くと信じていたことが崩れる。

望まない別れがある日やってきてしまう・・・

 

離婚の決意が一年延ばしにせざる得なくなった後、どん底の

精神状態は相変わらずでした。後ろは振り返りたくないが、

前にも進めない。

ひとり娘がイギリス留学に旅だって数か月、突然家を出た夫は

会社も辞めていて、所在が皆目掴めなくなっていました。

一人ぽっちになってしまった私には、姑の介護がある意味心の

支えでしたが、その支えも無くなってしまいました。

 

そんな時期のことでした。

4月の人事異動の後、恒例の歓送迎会がありました。

飲み直しにもう一軒行こうということで、仕事仲間の同僚3人で

四谷三丁目に行くことになりました。

以前の働く主婦の時には飲み会は一次会まで。

片道1時間半はかかる通勤ではそこまででした。

けれどその時の家庭の状態ではもちろん家には帰りたくない。

「沖縄のオリオンビールが飲めて島ラッキョもありますよ。」

の言葉に誘われて『琉球』という店に行きました。

 

カウンターだけの小さな店ですが、沖縄出身で古謝美佐子さん

似の明るいママさんがやっていました。

席に座ってオリオンビールを注文すると、

「初めての人はこれが出来てからビールね。」

とカウンター越しに一枚の名刺とサンシンを渡されました。

名刺の裏に書いてある工工四(クンクンシー・沖縄の楽譜)は

童謡の『チューリップ』でした。

2月のペンションぱいらんどで少しサンシンを手にしていたので、

オリオンビール飲みたさもあり、すぐに弾いてみせました。

「早いね~、弾いたことあるの?」

石垣島に旅行に行ったことなど話すと、サンシンが好きならと

安里屋ユンタ』やビギンの『涙そうそう』や』を唄ってくれました。

それから、話し上手なママさんの魅力とサンシンの腕前に惹か

れて、一人で『琉球』に通うようになりました。

 

お店の壁にはサンシンが何本かぶら下がっていて、お客さんが

弾けるようになっていました。サンシンを弾きに来る常連のお客

さんが沢山通っていました。そして私が八重山好きと分かると、

常連のケンケンと言われている青年が『つぃんだら節』を唄って

くれました。

それが初めて聞いた『つぃんだら節』でしたが、その哀切なメロ

ディにまた胸を締め付けられたのでした。

そしてやっぱり石垣に行こう、離島桟橋から船に乗ろうと決意を

新たにしました。

               soon『崎枝の松ととぅまた節』に続くpencil

 

2013年9月21日 (土)

唄巡りの旅『野底岳とつぃんだら節』

石垣島の北端平久保崎の灯台まで行った帰りは、来た道を戻

り今度は右手県道79号線に道を取ります。石垣島の西側を走

る主要道路で、東側は行きに通った国道390号になります。

このドライブで一番見たかったのが野底岳でした。

地元では野底マーペーといわれる282mの尖がった形の山です

が、生き別れの悲しい恋人たちの言い伝えが残されている山な

のです。

 

昔黒島に住んでいたカナムイという若者とマーペーという乙女は、

幼馴染でいつか将来を誓い合った仲でした。ところがある日琉球

の役人がやって来て、村の真ん中の道に棒を立て道切りと言わ

れる強制移住を強行したのでした。

棒の倒れた方に住んでいたマーペーの家族は石垣島の野底村

へと強制移住され、一方のカナムイは黒島に残ることになりまし

た。一度黒島を離れたら、二度と戻ることは許されませんでしたし、

マラリアの猖獗地帯と言われた石垣島に行けば、命さえも失いか

ねません。

他の村人たちと野底村に送られたマーペーは苦しい開墾の労働

の合間にも、想うのは恋しいカナムイのことばかり。生き別れの

苦しさを嘆き悲しんだマーペーは、ある夜耐えられずに一人野底

岳へと夜道を登ったのでした。

せめて恋しいカナムイの住むふる里黒島をひと目みたいと、その

想いの一念で暗い山道をかき分けて頂上を目指しました。

ところが夜明けの光の中に見えたのは、懐かしい黒島ではなく

野底岳より高い於茂登岳だったのです。

朝になってマーペーがいないのに気がついた村人たちが、ようや

く野底岳の山頂で見つけたのは祈るような形の石になってしまっ

たマーペーでした。

 

   ♪サーとぅばらまとぅ我んとぅやヤゥ スリ

       童からぬ遊びとぅーら ツィンダラ ツィンダラヤゥ

       かなしゃまとぅくりとぅやヤゥ スリ

       くゆさからぬむつぃりとぅーら ツィンダラ ツィンダラヤゥ

       (貴男と私は子供からの遊び友だちだったのに

      可愛い貴女と私は小さいころからの仲良しだったのに

                      可哀相で可哀相でならない)

 

   ♪サー島とぅとぅみで思だらヤゥ スリ

       ふんとぅとぅみで思だら ツィンダラ ツィンダラヤゥ

       沖縄からぬういすぃぬヤゥ スリ

       美御前からぬ御指図ぬ ツィンダラ ツィンダラヤゥ

      (島があるかぎり 村があるかぎりと思っていたのに

       琉球王朝からの御意志で 王様からの御命令で

                    可哀相で可哀相でならない) 

 

   ♪サー島分がりでうふぁられヤゥ スリ

       ふん分がりでうふぁられ ツィンダラ ツィンダラヤゥ

       うばたんがどぅけなりヤゥ スリ

       野底に分ぎられ  ツィンダラ ツィンダラヤゥ

      (島を離れ別れて 村を離れて別れて

       貴男と離れ別れて 野底に行かされ別れさせられ

                     可哀相で可哀相でならない)

この悲しい言い伝えが『つぃんだら節』になり今に唄われています。

                        soonこの話し続きますpencil 

 

 

2013年9月19日 (木)

唄巡りの旅『百年の恋とかたみ節』

伊原間を過ぎてしばらく車を走らせると、いつの間にか1台ま

た1台と車が増え、前に1台後ろに2台の車にはさまれました。

農道を同じ方向に向かっています。

目的は一つ明石(あかいし)食堂です。

明石食堂の駐車場に車を止めてお店に行くと、すでに10人近く

並んでいました。

20分待って店に入って4人でソーキそば、野菜そばを注文して

カツ丼は分けて食べました。そばも美味しかったけど、以外に

玉子がトロトロしたカツ丼が美味しかった。

それから石垣島最北端の平久保崎に向かいました。

 

途中に久宇良というバス停を通りましたが、ここは昔久志間という

部落で『かたみ節』が生まれた場所です。

琉球王朝に貢物を納めに行ったマーラン船が、悪天候でこの久志

間に漂着しました。村民が手厚く介抱して天候の回復を待ちました

が、その間に沖縄生まれの男と久志間の女が恋仲になりました。

二人は将来を誓いあって、その後結婚して暮らしたという実話が

あったそうです。

その話しを赴任中に聞いた黒島英任は1732年に『かたみ節』を

作詞作曲したそうです。

 

   ♪ さてぃむ目出度や 此の御代に

     サー祝いぬ限りねらん

   (アスビタヌシムヱスリ ワンヤカタミクイラ チトゥシマディン)

   ♪ 一番願わば 福禄寿 

      サー其の他無蔵とぅ連りてぃ

   ♪ 無蔵とぅ我んとぅや 元ゆりぬ

      サー契りぬ深さあたん

   ♪ 百歳なるまでぃ 肝一ち

      サー変わるな元の心

 

車は北上して平久保崎の灯台に着きました。駐車場から灯台へ

向かうとお天気は晴れていましたが風が強く、雲が早く流れてい

きます。「石垣島最北端の碑」と書かれた看板の先に灯台があり

ます。目の前は青い青い海が広がり270度の展望。

本当に心が洗われる風景です。

神奈川の新婚さんカップルは手をつないだまま、この風景に声

もでません。沖縄本島にダイビングをしに4回ほど行ったそうで

すが、新婚旅行で来た石垣島を大変気に入ったようです。

佐々木カメラマンがまっ白い灯台を背景に、二人の写真を撮っ

てあげていました。

風の強さに髪が潮っぽくなって、素晴らしい風景でしたがあまり

長居はせずに次に向かうことにしました。

               soon『野底岳とつぃんだら節』に続くpencil

 

2013年9月17日 (火)

唄巡りの旅『伊原間と舟越節』

宮良から白保を通ってルート390を北上します。整備された

道路を走る車の数は以外と少なく、スピードを出して走るのは

「わ」ナンバーの旅行者の車といわれているそうです。

右手にはサンゴ礁の青い海、左手には緑の林の間をドンドン

走って、玉取崎展望台の駐車場に着きました。

車を止めて展望台に続く坂道を登って行くと、ハイビスカスの

赤い花がたくさん目につきます。

ゆるい上り坂の先は見晴らしの良い展望台になっています。

その景色の素晴らしになんだかウキウキして、子供のように

はしゃいでしまいます。新婚さんカップルは興奮して写真を撮り

まくってます。

佐々木さんはカメラマンに早変わり。新婚さんのツーショット撮り

に忙しい。

サンゴ礁のエメラルドグリーンがブルーに色が変わり、リーフに

寄せる白い波はレースのように細く長く打ち寄せています。

目を転じると左右からグーッとくびれた伊原間湾が見えます。

ここは石垣島で一番細い部分になります。

片側は太平洋、片側は東シナ海に挟まれた300mあまりの土

地です。グルリと島の突端を回らずに、この道幅を舟を担いで

行き来したことから『舟越(ふなくや)』と名付けられたそうです。

昔は“生き地獄”といわれたこの石垣島北部のマラリア地帯に、

土地開墾のために強制移住させられた農民たちの苦悩の唄が

残っています。『舟越節』です。

 

   ♪ いばろまゆ 立てぃだす 舟越ゆ立てぃだす

      スリ ユワイヌ サースリ ユバナヲレ

     (伊原間村 舟越を建てたのは)

   ♪ 誰るぬ主ぬ 立てぃだね じりぬ親ぬ立てぃだね

      スリ ユワイヌ サースリ ユバナヲレ

     (何という役人が 何という与人役が建てたのだろう)

 

と普通は2番まで唄われるのですが、その続きの歌詞の意味は

 

♪ 当時お役人の先見の明ある役人が命じたのだ

♪ その役人は頭職に出世してくれるな目差役になってくれるな

 

と唄われているのです。強制移住させられマラリアと苦役に苦し

められた農民たちの本音が出ています。そして命と引きかえに

建設した村は、結局マラリアのため廃村となってしまったのです。

 

玉取崎展望台のふもとにちょっとお洒落な土産物屋さんがあり

ました。そこのオーナーの女性は以前パイランドのヘルパーさん

だったそうです。今は結婚してご主人とこのお店を開いています。

佐々木さんはおばぁから預かった手作りのサーターアンダギー

を届けに来ました。

お店オリジナルのかき氷を4人で食べて、次に向かいました。

目指すは八重山ソバが美味しいと話題の『明石食堂(あかいし

食堂)』です。

            soonこの話し『百年の恋とかたみ節』に続くpencil

 

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